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野球は知らない、しかしイチローが凄いことは分かります。

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credit: kevincrumbs via FindCC

私は野球の事はまったく分かりません。

しかしイチロー選手が凄いという事は私でも分かります。

何が凄いかと言うと、イチロー選手は41歳ですよ、41歳。凄いことですよ、ここまでずっと現役で最前線で戦ってきたのです。サラリーマンだって20年以上もの間、戦い続けることが出来るかという事です。

私の人生も振り返ってみると、常に全力ではなかったと思います。

 

イチロー選手の詳細はしらない

そうなのです、知らないからこそ凄いと思うのです。

羽生選手、錦織選手のことも良く知りません、凄いことは分かります。実際に私も大騒ぎした者の一人です。周りの「羽生君スゴイ」とか「錦織選手スゲー」とかの騒ぎの中に自分自身もいました。しかしイチロー選手は違うのです。

私は野球・フィギュアスケート・テニスのすべてをほぼ知りません、知らないけどイチロー選手は特別なのです、別格なのです。

 

なぜ特別なのか

私はイチロー選手と近い年代です、私の方が少しばかり上ですが。

野球に詳しくない私が、成人してからほぼ毎日のように「イチロー」の名前を聞きました。最初の頃は選手登録の際「イチロー」というネーミングで登録した事が話題になりました。

 

1994年 日本人初ファーストネームで選手登録「イチロー」誕生

それまでは「鈴木一朗」と登録していたのですが、1994年に「鈴木一朗」から「イチロー」へ登録変更したのです。

日本人選手として初のファーストネームでの選手名登録だったのです。私たちの世代からすれば驚くことであり、野球を知らない人からすれば、ただの色物扱いに思えました。どうせ話題の為で実力なんて無いんだろうと。

この「イチロー」への変更は、野球を知らない私ですら驚いた事でした。

実際には話題性だけではなく、イチロー選手はこの年、首位打者・最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞などの幾多の賞を受賞し、打者としては日本プロ野球史上最年少でシーズンMVPを獲得したのである。

 

1995年 阪神淡路大震災 発生

忘れもしません、1月17日未曽有の大災害が発生しました。

テレビで見ていた私は震える思いでした、何も出来ない自分、刻一刻とテレビで映し出される惨状、増え続ける死傷者の数、本当に自分の無力さを感じました。

その後の復興には微弱ながら応援しましたが、本当に微弱な力だったのです。

他力本願ではいけないのですが、誰か何とかしてほしいと祈ったものです。被災者の方に勇気と希望を与えてほしいと思ったものです。

私の会社からもトラックを出して救援物資を運び込む事をしました。しかし一向に進まない復興にジレンマを感じた事は記憶に深く残っています。

 

オリックスのスローガン「がんばろうKOBE」

オリックスの本拠地である神戸市は壊滅的被害を受けました。イチロー自信もオリックスの寮で被災したのです。

ここからイチローの快進撃は始まりました。野球に詳しい方は否定するのかもしれませんが、野球を良く知らない私からすると、世界の「イチロー」はここからなのです。後にも先にも尊敬に値する偉人の分岐点はここではないかと。

オリックスは「がんばろうKOBE」をスローガンに快進撃を始めます。野球シロウトの私もなぜかオリックスをイチロー選手を応援していました。

イチローは震災からの復興を目指すシンボルとなります。そしてその期待に応え続けたのです。首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得したのです。野球を良く知らない者でもこの尋常ではない活躍は分かります。

その根底となるパワーの源は何であろうかを考えました。「がんばろうKOBE」ではないのか、この異常と言っても過言ではないパワーは「がんばろうKOBE」あってこそではないかと。

そしてオリックスは念願のリーグ初優勝を達成するのです。

その後もとにかく活躍し続けました、この人は何者なのと思うほど活躍して、記録をつくり、それでも戦い続けました。日本国内では狭すぎるのではないかと思えるほどの活躍でした。

野球を知らない私からすると、国内敵無しと思えたものでした。実際の評価は野球に詳しい方に任せます、しかし私の住む小さな世界ではイチロー選手無双状態であったのです。

 

世界の「イチロー」へ

2000年メジャーリーグ挑戦の意向を表明。

2000年11月30日、野手としては日本人初のメジャーリーガーとなる。

世の中の大半は「イチロー」は世界では通用しないとの声が多かった。私もイチロー選手ならやってくれると思う反面、体格的に恵まれているメジャーリーグの選手の中で、活躍できるのだろうか、潰されてしまうのではないかと不安になったものです。

しかしその不安はすぐに安堵となるものに変わったのである。

イチローはイチローであった、日本の中であろうとアメリカであろうと、持てるすべてを出す、今までやってきたことに間違いは無いのだと、ストイックに突き進んできた道は、日本の中で誰かに勝つためではなく、今の自分に勝つために努力して来たのではないだろうか。

過去の自分を本当の意味で「過去のもの」にするために努力をしてきたのではないだろうか、本当のところイチロー選手の気持ちは分かりません、野球の詳しい方の評論も見たことがありません、私自身が読み取る「イチロー」像を勝手に想像しているに過ぎないのですが、きっと遠からずと思います。

 

マリナーズの地区優勝に貢献

マリナーズに入団以降、快進撃が始まります。

前評判は批判的な声が大半であった覚えがあります。この印象も野球を知らないシロウトの受けたイメージですから実際は分かりません。しかしイチローなら絶対大丈夫という雰囲気ではなかったと思います。

しかし、ふたを開けてみれば連日の大活躍、月間新人MVPを受賞してその後も、数々の記録を打ち立てます。それこそ無双状態で日本の中で暴れまわっていた時と何ら変わりありません。

感慨深いものがあります。

 

あの震災の時に目にした若者が、今世界で無双しているのです。

もうファンです、野球をあまり分からないけど、こんなに凄い人が同世代にいるのだという興奮を、尊敬に値する人が同世代にいると思うと嬉しくて仕方なかったです。

しかしその後も私は野球好きになる事はなかったのです。

野球をしている「イチロー」が好きなだけで、野球の中で戦っている「イチロー」が好きなだけで、それはつまり「イチロー」の人間性そのものが好きであったからです。

その後10年以上の歳月をトップアスリートとして君臨し続けたのです。実に私が初めて「イチロー」を知ったのが1994年ですから20年の歳月が経ちます。その中で「イチロー」は常にチャレンジャーであり勝ち続けてきたのです。

その事実があって、「イチロー選手」を尊敬の念で見れないわけがないのです。男なら誰でも憧れるのではないでしょうか。

今後のイチロー選手がどうしていくのかは分かりません、あまり野球の事は分かりません、しかし「イチロー」が何をしても、たとえ野球界から離れても気になる存在である事には変わらない事だと思います。

 

 

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