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ペットと暮らすという喜びは人生を共にしてきた家族を失う覚悟がいる

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ペットを飼うのなら最後まで見届ける覚悟をしてください。

楽しい思いだけではなく、つらい思いをする事もいっぱい有るという事実をよく考えて欲しいのです。

愛犬との暮らしは楽しい思い出と共に辛い思いがたくさんある

私たちには2匹の犬が家族としていました。

1匹は16歳を迎える直前に他界しました、そして残された1匹も今歳で15歳という高齢犬です。

毎日共に過ごすことができる喜びがある中で、別れが確実に近づいていることにやりきれない思いもあります。

楽しかった思い出がある事は紛れも無い事実なのですが、この子に何をしてあげる事が出来たのか自問自答する日々に悩まされるのです。

色々と連れて行ってあげられなかった、美味しいものを食べさせてあげることは出来たのか、一体何をしてあげられたのか考えてしまいます。

犬の愛は無償と学んだ

この子たちは毎日無償の愛をくれます。

毎日家に帰るだけで大喜びをします、我々人間からしてみれば、ただ単に仕事から帰宅しただけなのですが、彼らは毎日大喜びしてくれます。

一緒にいるだけで喜んでくれるのです、何を求める訳でもなく私たちの存在だけで、ただそれだけで大喜びしてくれるのです。

こんなに必要とされることが有るのだろうかと思わされるほど、必要としてくれるのです。自分の存在価値を疑問に思うことは人生を生きていれば何度も何度もあります。

こんな自分が生きていても意味が有るのだろうかと…。

そんな私の思いを知ってのことか、知らずなのか分かりませんが彼らは毎日毎日私たちを必要としてくれます。

老犬が跳びはねる

15歳を迎えた老犬は足腰が弱っています本当に「おじいさん」です、若かった頃のように走り回ることはもうしません。悲しいことですが現実なのです、子犬の頃の目を輝かせながら常に飛び跳ねていた動きはもうできません。

その場で立ち上がるだけでも「よっこらしょっと」ゆっくり立ち上がります、歩くときも「ゆっくりゆっくり」ノソノソ歩きます。

もう跳びはねることは出来ないのです、悲しい現実です、見ていて辛くなる時も多々あります。

我が子と同様にかわいがった「子ども」が自分より遥かに早く老いていくのです、涙が出て止まらない時があります。ほんと辛いと感じる時が日に日に増えてきているのを感じます。

一瞬、子犬に戻ったかのよう

そんな15歳の老犬ですが、私たち家族が家に戻ると子犬のように飛び跳ねて喜びます。毎日のことです、15歳の老犬が跳びはねるのです。

しっぽをマックスで振ります、ホント凄いスピードです。そして普段の生活では不可能になった「跳びはねる」事をするのです。「うれしいよ~大好きだよ~」と聞こえてくるようで、こちらも嬉しくなってしまうのです。

それこそ子犬に戻ったかのような動きで跳びはねるのですよ、おいおい骨折してしまうのではないかと心配になるほどの喜びようなのです。

そんな毎日起こる日常が犬を飼う、家族として生きると言う喜びになるのです。もうヨボヨボのおじさん犬が限界を超えた動きで喜びを表すのです、涙が出そうになるほど嬉しいのはこちらの方ですよ、私たちはこの小さな犬たちに大きな喜びを貰うことが出来ているのです。

家族を捨てるなんて考えられない

世の中のニュースでは酷い事ばかりです。

勝手な飼い主の都合だけで、一体どれだけのペットが捨てられ殺処分になっているのでしょうか?ぬいぐるみじゃないですよ、感情もあるのですよ、喜びも悲しみも感じるのです。

どうして人間はそんなにも残酷になれるのでしょうか?自己中心的な考えしか持てないのでしょうか?

「可愛いと思って買ったけど飽きたから捨てる」この場合の「飼う」はただモノを購入する「買う」なのです。我々ペットを家族とする立場からすると「ぬいぐるみを買う」行為と同じだと思うのですが違うのでしょうか?

介護の末安眠した老犬

一匹目のわんこは晩年介護する必要がありました。

15歳のある日に意識もうろうでフラフラしていたのです、すぐに動物病院に連れて行くと「腎不全」と診断されました。

余命宣告をされたのです「あと持って2週間」と衝撃的な先生の言葉でした、高齢な老犬である程度の覚悟はしていましたが、やはり受け入れる事は出来ません、15年という長い月日を共に生きてきた家族があと2週間の命なんて考えることはできません、受けいる事が出来ない事実だったのです。

始まった家族の戦い

病院にいって入院しました、先生が最善を尽くして頂いたので5日間入院して退院を迎えた日には見違えるほどの元気な姿になっていました。

しかし病気が治った訳ではありません、容体は良くなりましたが別れの日はそう遠くはないのです。まともに食べることさえ出来なくなり毎日の点滴が必要になりました。

どこまで出来るだろう?不安が夫婦を襲います。共働きの為に時間を費やす事も難しいのは確かです、本当に大変だったのです。

なんとかしなくてはなりません、我が子が苦しむ姿を見るのは嫌です、せめて苦しみからは開放してあげたいのです。「ペットが病気になったから面倒見えないので捨てました」異常です、人の心が有るとは思えません。

私たちにそのような選択は絶対に有り得ないのです。出来るはずがありませんよ、そんな酷いことは。

毎日の点滴は自宅でする

点滴なんて使ったことはありません、私も奥さんも当然ですが初めての事なのです。

点滴をを毎日の様にしないとすぐに弱ってしまいます、愛犬の「死」はすぐそこまで迫っているのです。私たちに選択の余地はありませんでした。点滴を継続すると言う事以外にはないのです。

点滴は自宅ですることになりました、病院で点滴をしてもらう事は通うことも大変で現実的ではありません、費用も想像以上にかかります。意を決して奥さんが言いました「私が頑張って点滴をする!」と。

毎日の点滴は戦い

点滴は凄く怖いです、だって太い針を愛犬に刺すのですよ、怖くて怖くて逃げ出したくなる思いです。

なれない点滴は時折り失敗します、点滴がこぼれ出すこともたまにありました、全てが初めての事なのです。それでも止めるわけにはいきません、止めればそれは即ち愛犬の「死」を意味するのです、止められる訳がないじゃないですか、ここまで共に生きてきた家族を見殺しにするような事はできません。

6ヶ月の闘病生活

私たち家族は6ヶ月の期間を戦い続けました、余命宣告2週間が6ヶ月生きてくれたのです、その期間中はとにかく語りかける事が多かったのです。

ただ単に一緒にいる時間を楽しみました、来るべき別れの時を感じながら、とにかく話しかけました、話しかける事が出来ない時がくる事を日に日に実感して。

最後の瞬間に出た言葉は

良く犬が亡くなる逝く瞬間には大きな声で雄叫びをすると言いますが、正にその通りでした。

もう気力もない状態で最後の力を振り絞っての雄叫びでした。我々に最後の言葉を掛けて亡くなったのです。

その子は奥さんの事が大好きでした、そして奥さんもこの子の事が大好きで、はた目から見ても相思相愛だったのです。

この子の最後の雄叫びは「ありがとう」なのか「さようなら」なのか言葉は分かりません、しかし私が感じたのは「ママ!」と聞こえたのです。確かにそう言ったと認識しています。

愛犬の最後を看取った人しか分からない事かもしれませんが、確かに心で感じた言葉は「ママ」だったのです。ビリビリと電気が走った様な感覚で突き抜けていきました。

愛犬の魂

自分自身の心に相手の魂を感じたのは初めての経験かもしれません、笑われる話だとは思いますが、私は真剣です、あの感覚は夢の中だったのかと思うように不思議な感覚が押し寄せてきました。愛犬であり、わが子の別れの気持ちが確かに波動として伝わってきたのです。

自然と涙が溢れ出ました。死の悲しみというのは正しくは無いと思います。愛犬の愛する気持ちが直接心に波打って届くのです、こんな感覚は本当に初体験です。

この気持は大切に持っていたいと思います、たとえ誰に馬鹿にされても構いません、家族だけが感じる魂の繋がりだと思うので他人がどう思おうと、どうでも良いのです。

最後まで見届ける事ができますか?

あなたは「ペット」を飼うのであれば、最後まで、ペットの命が燃え尽きるまで見届ける事ができますか?その覚悟がありますか?10年後15年後に来るであろう老犬の介護と最後を看取る覚悟はありますか?

いきなり「ペット」の死を覚悟することは難しと思いますが、現実問題なのです。覚悟が出来ないのなら家族として迎え入れる事が出来ないのなら、ペットを飼う事は止めた方が良いです。

家族を1人増やすと言う選択だと思います。しかし新しい人間の家族は先に死を迎える事はあまり無いでしょうが、ペットは確実に彼らのほうが先に年老い亡くなるのです。

その一生を見届けるだけの覚悟があるのなら、彼らは素晴らしい人生をあなたに与えてくれることは間違いの無いことなのです。

最後まで共に暮らす

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私も、もう一匹の15歳の老犬と暮らしています、毎日話しかけています。

耳も遠くなり、どこまで聞こえているのか分かりません、目もあまり見えていないでしょう、しかし私たち家族は毎日毎日話しかけています。

それは最後の時を迎えるまで毎日毎日です。家族なのです、最後まで一緒に暮らします。捨てるなんて絶対しません、見捨てるなんて絶対しません。

借金を背負ってでも見捨てませんよ絶対に、最後の最後の一瞬まで共に生きていきます。共に暮らしていきます。

さいごに

愛犬に、家族に何もしてあげられない辛さ、病院で点滴をして挙げられない悔しさ。私たち家族ではないところで育てられていたのなら、もっと手厚く看病してもらえたのではないかという後悔の念、後悔ばかりが頭によぎります。

しかし、この子を私たち以上に愛した人はいないと自負しています、たとえ色々としてあげる事が少なかったとしてもです。この子は愛されていたと言う幸せがあったはずです。

そういった意味では、私たちに後悔はありません。

ブログに本音で腹の中をさらけ出す事は非常に抵抗があったのは事実ですが、私たち家族の歴史と戦いを書き留めることで、共感してくれる方、悩んでいる方に少しでもお力になればと思います。

そしてこれからのもう一人の老犬を看取り送り出してあげる為の決意表明でもあるのです。

何回も言いますが、私たち家族は最後の最後まで愛犬を家族の一員として過ごしていきます。絶対に捨てたり、突き放したりしません。

最後まで共に生きていきます、最後の一瞬まで。

 

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愛犬が腎不全のために苦しんで亡くなった事をきっかけに色々と調べました。その結果「水素水」が腎不全予防と改善に効果的と分かり水素水サーバーを導入することに。

もっと早く水素水のことを知っていれば、愛犬が苦しまず眠ることが出来たのではと後悔があります。再びいま居る愛犬には苦しい思いをさせたくありません。

水素水が万能とは思いませんが、私たちにできる限りの事はやってあげたいと思います。愛犬家の方には是非参考にして頂ければ幸いです。

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